名古屋高等裁判所金沢支部 昭和27年(ネ)178号 判決 1956年3月05日
控訴人 表弘平 外三名
被控訴人 北陸圧延工業株式会社
主文
原判決を取消す。
被控訴人は控訴人らに対し、別紙目録<省略>記載(イ)の建物中、二階八畳二室(添付図面の赤斜線部分)を除いたその余の部分全部、同目録記載(ニ)の建物中、階下玄関、便所、かまど、流し、コンクリート土間、階段(添付図面の赤斜線部分)を除いたその余の部分及び同目録記載(ロ)(ハ)の建物全部を明渡すべし。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
この判決は、控訴人らにおいて金五万円の担保を供するときは仮に執行することができる。
事実
控訴人ら代理人は、主文第一、二、三、項と同旨の判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張は、控訴人ら代理人において、(一) 被控訴人は、別紙目録記載の建物内に存在する機械、器具、設備等が今なお被控訴人の所有であるかのように主張するがこれは事実に反する。右本件建物四棟及びほか一棟(同所三十九番地の二所在、家屋番号五十七番、木造瓦葺平家建居宅一棟、建坪二十九坪二合五勺)内に存する機械、器具、設備等一切は、被控訴人が昭和二十四年四月十五日、復興金融金庫(現在日本開発銀行)から金百八十万円を借受けるに当り、右債権担保のため、その所有権を同金庫に信託譲渡し、更に右物件につき同金庫と使用貸借契約を結んでこれを使用しているに過ぎないのである。しかも、被控訴人は弁済期たる昭和二十六年十二月二十日までに右借用金を返済しなかつたので、昭和二十七年十二月二十五日債権者の代理人である商工組合中央金庫金沢支所(以下中金金沢支所と略称)から右使用貸借契約解除の通知を受けた結果被控訴人は右物件一切の所有権並びに占有権を失うにいたつたことは明らかである。そしてその後控訴人らは債権者銀行から右機械、設備類一切の買受方の交渉を受けたのでこれに応じ、すでに代金の仮払いを終つて、被控訴人から本件建物の明渡しを受け次第直ちに事業に着手せんものと、着々その準備を整えているものであるが、これに反して、被控訴人は本件建物内に一物をも所有せず、数年前から休業して、賃料も支払つていないのであるから、控訴人らに対し本件建物を明渡すべき当然の理由がある。(二) 別紙目録記載建物中、(イ)の建物の二階八畳室二室、(添付図面赤斜線の部分)及び(二)の建物の階下玄関、便所、かまど、渡し、コンクリート土間、階段(同じく赤斜線の部分)の部分は、現在訴外糀田千太郎がこれを占有し、被控訴人の占有に属しないので、控訴人らは被控訴人に対し、右訴外糀田の占有部分を除いたその余の部分全部の明渡を求める。と述べ、
被控訴代理人において、控訴人らの本件建物明渡を求める主な理由は、要するに、被控訴人の工場は営業不振であつて、工場設備は債権者に信託譲渡せられ、今日ではすでに右設備一切は第三者たる控訴人らの手中に帰し、工場存続の余地はないというにある。なるほど、被控訴人は、控訴人ら主張のように借入金の担保として工場設備の機械類を債権者に信託譲渡のうえ、使用貸借契約を結び、また右使用貸借契約解除の通知を受けたことは事実であり、これを争うものでないが、控訴人らは、(一) 本件建物について不当な仮処分をなして、被控訴人の工場使用を不能ならしめ、(二) 被控訴人工場の番人として被控訴人が本件工場内に居住せしめていた訴外糀田千太郎と相通じて、被控訴人工場内の機械使用者をそそのかし、工場運行の障害となる行為をなさしめ、(三) 更に、被控訴人会社の収入源となつている別工場(前記家屋番号五十七番の建物)内の稼動中の機械設備を中金金沢支所と通謀して本件建物において使用している情況であつて、かくては被控訴人会社が営業不振となるはむしろ当然としなければならない。しかしながら、被控訴人は本件建物の賃借権を有するものであるから、中金金沢支所は右機械、設備類を控訴人らに売却処分する権限はあるとしても、これを本件建物内で控訴人らに使用せしめる権限はないし、控訴人らもまた、被控訴人から工場の明渡を受けない限り、勝手に本件建物を使用することはできない筋合である。しかるに、中小商工業者を育成すべき立場にある中金金沢支所が控訴人らと結託して、担保物件を控訴人に売却し、控訴人らは裁判所を欺いて本件建物に対して仮処分なし、被控訴人の占有を解く等一連の背信的行為によつて中小工業者たる被控訴人を苦しめ、その故にもたらされた営業不振を理由に本件建物の明渡を求めるがごときは、その不当なことは言をまたないところである。所有権は、したがつてこれに基く明渡請求権もまた、民法第一条により信義誠実の原則に従わねばならないことはいうまでもないところであつて、前叙控訴人らの作意ある計画を遂行するための本訴明渡請求は、権利の濫用であつて失当たるを免れない。と述べたほかは、原判決摘示事実と同一であるから、ここにこれを引用する。
<立証省略>
理由
控訴人らの先代訴外亡表平太郎が別紙目録記載の建物四棟及び金沢市下中島町三十九番地の二所在、家屋番号第五十七番、木造瓦葺平屋建居宅一棟、建坪二十九坪二合五勺(以下便宜(ホ)の建物という)計五棟を所有し、もとこれらの建物を工場として使用して製箔業を営んでいたこと、昭和二十五年十月九日平太郎の死亡により、右建物五棟は相続により、控訴人らの共有に帰したこと、及びこれより先、昭和二十年四月二十一日控訴人らの先代平太郎は被控訴会社(当時は北陸通信機械工業株式会社と称していたが、その後商号を変更して現在の北陸圧延工業株式会社となる)と、前記五棟の建物につき、(1) 賃貸借期間は昭和二十年四月一日から向う二ケ年間、(2) 賃料は一ケ月金三百円とし、毎月五日までにその月分を支払うこと等の定めで賃貸借契約を締結したことはいずれも本件当事者間に争いがない。
ところで、控訴人らは右賃貸借期間を昭和二十年四月一日より向う二年間と定めたものであると主張するのに対し、被控訴人は右は借家条件改定のための一応の期間であつて、本件賃貸借の期間は永久の期間であつたと抗争するので、まずこの点について調べてみることにする。成立に争いのない甲、乙各第一、二号証、乙第三、四号証、甲第十五、第十八号証と原審証人糀田千太郎、同黒田永一、同越野理佐の各証言及原審における控訴本人表弘平、被控訴会社代表者中居太一郎尋問の各結果を合わせ考えると、今次戦争がいよいよ熾烈となつて来た昭和二十年三月頃は、製箔業は不要産業として企業整備の対象となり、控訴人らの先代平太郎の前記製箔工場五棟もまた整備を免れず、平太郎は転業の余儀なき状況にあつたが、もし整備の適用を受けると、工場設置の機械、器具等の設備はスクラツプとして買上げられ、工場建物は軍需関係方面に徴用せられるおそれがあつたところから、平太郎は当時北陸通信機械工業株式会社として軍需品を作つていた被控訴会社に対して機械設備類とともに右工場建物五棟を買取つてくれるよう申出たこと、しかし工場の売買は被控訴会社の資金関係から成立しなかつたが、工場設備の製箔機、圧延機、電動機、電動装置等及びその付属設備一切は有形のままで被控訴会社において買取り、同会社は右買取つた諸設備を利用して右工場内で軍需品の部分品を生産することとなり平太郎との間に右工場五棟について前記のような賃貸借契約を締結するにいたつたこと、右賃貸借期間については、当時は戦争の帰すうも定かでない時期であつたので、その後の戦争の成行や経済事情の変動等も考慮にいれて、賃貸借の日である昭和二十年四月一日より向う二ケ年と定め、期間満了の際は、事情により、更に右期間を更新することができることを約定したこと、そして右賃貸借期間は、昭和二十二年四月二日付契約を以て、期間満了の時から更に向う二ケ年と定めて更新されたことが認められるのである。前記証人越野理佐、被控訴会社代表者及び当審証人吉井四郎の各供述中、右認定の二ケ年の期間を以て条件改定期間を定めたものとする供述部分は、これを前示控訴本人弘平の供述と対比してみて、にわかに信用することができないし、その他本件賃貸借期間を被控訴人主張のように永久と定めたものと認められるような証拠はない。
してみれば、本件賃貸借は右期間更新の特約によつて昭和二十四年三月三十一日まで存続するものとなつたことは明らかであつて、これに対して控訴人らの先代平太郎が昭和二十二年十二月三日、被控訴人に対し右更新された期間更新拒絶の通知を発し、右通知がその頃被控訴人に到達したことは当事者間に争いがない。ところが、右通知は借家法第二条所定の期間満了前六月ないし一年内という法定期間を越えた一年以前になされたものであるので、かような場合における更新拒絶通知の効力いかんについて考えてみるに、同条が右のような法定期間を設けたのは、これによつて賃貸借当事者の一方に対して、あらかじめ賃貸借の終了を予告して、これに対処すべき準備期間を与えるとともに、他方賃貸人につき、同法第一条二項のいわゆる更新拒絶についての正当事由があるかどうかを判定すべき標準時期を定めたものと解すべきであろう。なぜなれば、右正当事由の有無は、期間満了前のこれと接着した一定の時期を判定の標準としなければならないことは、当然であつて、そうでないと、法定期間を越えた時期において(たとえば期間満了前数年前)、たとえ正当事由が存在したとしても、その後の事情変更により、右事由は消滅するにいたり更新拒絶を正当としない場合もあり得るからである。そうすると、前記平太郎の更新拒絶通知は、右通知をなすべき法定期間の制限に反した無効のものというのほかなく、結局本件賃貸借は期間満了前において更新拒絶の通知がなかつたことに帰し、同法第二条に基いて、期間満了と同時に、更に更新せられ期間の定めがない賃貸借が継続するにいたつたものといわなければならない。
しかしながら、前示控訴本人弘平の供述及び甲第十八号並びに本件弁論の全趣旨に徴すると、控訴人ら先代平太郎の究極の目的としたところは、戦後再び製箔業を開始する目的で本件工場建物の明渡を求めることにあつたことが認められ、かつ前記通知を発した後右明渡を求める意思を捨てたものとする証拠資料もないので、右平太郎のなした更新拒絶の通知には、前示昭和二十四年三月三十一日の期間満了時において、自己使用の必要を理由として、被控訴人に対する本件賃貸借解約の申入の趣旨をも含ましめたものと解して何等差支いはなく、かく解することこそ、平太郎及び控訴人らの意思にも合致するものと考えられるから、右通知はなお本件賃貸借につき被控訴人に対し解約の申入をしたものとしてその効力を維持するものというべきである。
よつて、以下果して右解約申入には正当事由があるかどうかについて検討を加えみる。成立に争いのない甲第五、第六、第十五、第十六、第十八、第十九号証、当審証人山内久男の証言により真正に成立したものと認める甲第七号証と原審証人糀田千太郎、当審証人山内久男、多胡賑一郎の各証言、原審における控訴本人表弘平及び被控訴会社代表者の各供述を綜合すると、控訴人らの先代平太郎は、約四十年にわたつて製箔業を営んできたものであり、控訴人弘平もまた父祖の業を継いで、同業に従事して以来すでに二十年に及ぶものであるが、別記認定のとおり、戦争によつて心ならずも転業を余儀なくせられたものの、戦争終了のあかつきは再度長年手がけて来た製箔業を開くことを期していたものであつて、それには本件工場建物及び前記(ホ)の建物は工場として是非必要であり、昭和二十二年四月最初の期間満了の際は、被控訴会社のたつての希望により更に向う二ケ年の期間更新を許したが、右期間満了後は平太郎に引継いで賃貸する意思はなく、ひたすら事業再開の日を待つていたこと、それで二年後の昭和二十四年四月には前記(ホ)工場内設置の製箔機のうち三台を被控訴会社から借受けて、自己の事業として製箔をして来たが、その後更に後記のとおり、同工場内設置の全設備を控訴人弘平においてその手に収め、目下弘平は右機械全部を使用してさかんに製箔を行つていることが認められ、一方被控訴会社は、工場賃借後いくばくもなく終戦を迎えた結果、軍需産業は成立しないこととなつたので、止むをえず社名を北陸圧延工業株式会社と変更して、工場内の既設設備に多少の新設備を加え製箔業に転換したが、営業は極めて不振で、昭和二十四年三、四月頃においては、操業中の工場はわずかに(ホ)工場のみに過ぎず、本件工場四棟は休業状態にあつたこと、同年四月十五日右工場及び(ホ)工場内の機械設備等一切を譲渡担保として復興金融金庫(現日本開発銀行)から金百八十万円を借受けて事業のばん回を計つたものの、事態はその後も一向に改善をみないのみか、ますます悪化の一途をたどつて、右借財の決済をすることができず、ついに担保物件の所有権を回復することができなかつたこと、昭和二十九年中右諸設備は債権者銀行の代行機関である商工組合中央金庫金沢支所を通じ処分せられ、控訴人弘平がこれを譲受けて所有権を取得し、前記のとおりこれを使用して(ホ)工場において製箔を行つていること、及び現在本件工場建物四棟は番人等の管理者もなく、工場内の機械類はすべて取除かれ、若干のがらくた品が散乱するまま放置せられており、前記被控訴会社の営業情態にかんがみるときは、近い将来において右工場を使用するようなことはないものと認められる。もつとも、原審において被控訴会社代表者は、相当の運転資金があれば、被控訴会社の事業は再起可能であり、本件工場を必要とすると述べているが、右認定の事実に徴するときは、かような事態の生ずる余地は極めて少いものと認めざるを得ないのである。
さて以上認定の事実によつて、当事者双方が本件係争建物を必要とする程度を比較考量してみると、控訴人らの先代平太郎及び控訴人弘平は、いわば戦争の犠牲者として、余儀なく永年経験を重ねて来た製箔業を離れ、本件工場を被控訴会社に貸与したが、平和回復により従前の事業を再開しようとするものであつて、それには従来どおり本件工場建物を使用する必要があることは明らかであるが、被控訴会社は、少くとも昭和二十四年頃より現在にいたるまで本件工場を使用していないものであり、今後も使用するものとは考えられないのであるから、本件建物に対する必要性は前者に比べてはるかに低いものというべきであろう。してみると、前記平太郎の解約申入は結局正当の事由があるものと解すべきであるから、本件建物についての賃貸借は、前記解約申入があつたとみなすべき昭和二十四年四月一日から六ケ月の経過により解約せられたものといわなければならない。したがつて、右賃貸借契約終了後においては、被控訴会社は本件建物を占有するにつき何等正当な権原を有しないものであるから、先代平太郎の死亡により右建物の共同相続人となつた控訴人らに対してこれを明渡すべき義務がある。
しかるに、被控訴人は、被控訴会社の営業不振は控訴人らが、(一) 裁判所を欺いて不当な仮処分を施行し、(二) 訴外糀田千太郎をそそのかして工場運行の妨害をなし、(三) 中金金沢支所と通謀して(ホ)工場内施設を本件建物内で使用したこと等の一連の行為をなしたことに基因してもたらされたものであるというが、かような事実を認めるに足りる確証は存在しない。被控訴人はまた、控訴人らの本訴明渡請求を指して権利の濫用であるとも主張する。しかしながら前記認定のような具体的事実関係に基いた控訴人らの本件明渡請求を以て、自己にとつて何等の利益がないのに、たゞ害意のみによつて被控訴人に建物の明渡をせまる反信義的な行為とは到底解することができないので、右非難もまた採用に価しない。
以上説明のとおりであるから、被控訴人は控訴人らに対し、別紙目録記載の建物中、訴外糀田千太郎が居住し、被控訴人の占有に属しないことを控訴人らにおいて自認する(イ)建物の二階八畳二室及び(ニ)建物の階下玄関、便所、かまど、ながし、コンクリート、土間、階段の各部分を除いたその余の部分及び(ロ)(ハ)の建物全部を明渡す義務あるものといわなければならない。
されば、右と異つて控訴人らの請求を棄却した原判決は不当であるからこれを取消すこととし、民事訴訟法第三百八十六条、第九十六条、第八十九条、第百九十六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 石谷三郎 岩崎善四郎 山田正武)